蝉日記。 暗闇も愛すから。三十六!。

それは一つの小さな植木鉢だった。あの日、初めて女の子と出会った日、再会かな、初めて身体を一つにしたあの夜、女の子が嬉しそうに水をやっていたさぼてんの植木鉢。

 今はもう、さぼてんは無い。植木鉢だけになってしまっている。それでもその植木鉢は土も無くただの入れ物だけになってしまっていても、僕には過ぎてしまった取り戻せないはずの時間を取り戻して、思い出させてくれる宝物のように思えた。

 がらくたの山の中から取り出し、隣にいる女の子に僕は言った。

 「懐かしいよね、これ。昔、君がさぼてんに嬉しそうに水あげてた。可愛がってたさぼてんの植木鉢だよね。あのさぼてん、どうしたの。あの時すっごく楽しそうだったよ。」

 女の子、平気な顔して無表情に答えた。「枯れちゃった。」僕は聞いた。「何で。あんなに可愛がってたのに。大切にしてたじゃない。」

 「おしっこかけてたら枯れちゃった。水の代わりにずっとおしっこかけてたの。」表情の無い顔で答える。僕は嘘を言っていると思った。冗談を言っているって言うか、信じたくないって思った。

 「何で、何でそんな事するの。」怒った様に言ってしまう。

 「だってさぼてん、棘で刺したもん。」

 女の子は言ったけど動くことの出来ないさぼてんがどうやって人間を刺すんだろう。それは女の子の不注意で、女の子の方から棘に触れてしまったんだろう。

 さっきまでの優しい時間が僕の中で凍りつく。女の子の中の闇を見た気がした。幼い頃からのいじめの毎日がやはり影を落としていると思われた。毎日毎日さぼてんにおしっこをかけて、少しずつ苦しめて、真綿で首を絞める様に殺していく。その女の子の姿を想像してしまった。

 きっと小学校の、中学校の長いいじめの毎日が、いじめられてた時間が女の子の中にもう一人の女の子をつくってしまっているんだ。

 僕は隣にいる女の子の顔を見つめる。瞳を見つめる。凍りついてしまった空気とは逆に何も知らない瞳をしている。