蝉日記。 だから生きる。四十一!。

だけど、それ以外の世の中の多くの人は給料袋に這いつくばってでも愛する女や子供、家族の為、守る為、自分が生きていく為にも、夢とか憧れを追いかける余裕も無いし追いかけたいのを我慢して捩じ伏せて捨てて生きていく。

 道に乗せられているかもしれない、道を決められているかもしれない、それも解っている。解っているんだ。でも、そんな道に騙されたって乗せられたって解っていても、黙ってその道を歩いているその他多勢って呼ばれてしまう人達、そう言う人達を、よく見てみれば、本当はすごく光り輝いていないか。

 僕は昔、笑っていた。もしかしたらそんな人達の事を'諦めた人'って心無い時の僕は笑っていたし、今も笑っているやつらがいるかもしれないけれど、でもそう言う多くの人達のおかげでこの社会も街も成り立っているのかもしれない。決して自分の意志が無いんではない。守る人達がいるから言わないんだって、そう言う人達。

 そっちの方が本当の勇気かもしれない。

 僕は夢を見たい。探したいって焦っていた時期がある。夢を失くし、その多くの時間、人生をその他多勢みたいな生き方したくない、選ばれた人間に自分もなりたいって思っていた時期がある。努力はしないくせに。

 だけど今、解った。父親や母親も含めて自分が笑っていた人達、生徒達の事も解った。僕は、もう、夢とか憧れなんか無くても良い。無くても生きていける。もっと大切な夢や憧れよりも守らなければいけないものができたから。

 もう、選ばれた人間になりたいとか人と違った生き方したいとか思わない。生きる事に追われているとか、生活に追われているとか、好きな女ができて去勢されたとか、牙を無くしたとか言って笑いたいやつは笑えば良い。そいつらは大切なもの、守らねばならないもの、まだ持っていないだけだ。

 もうこのまま、女の子さえ居てくれれば良い。