蝉日記。 想い、生きる。四十!。

あいつらは自分の意志では無い、自分の意志なんか無い。親とか先生に言われるままに何の疑いも持たず、自分で決めず、考えず、選択せず、小学校中学校と重ねて、言われるままに高校行って、何の目的も夢もやりたい事も無いのに、親が言うから、先生が言うから、学歴社会だし卒業証書の値打ちだから、保守的な未来だし何となく行くかって大学行って就職して結婚も適齢期になったし世間の目もあるしして、もう死ぬまでの道、決まっているじゃないかって笑ってた。

 でも、、、大学行くのだって、そうやって普通に生活していくのだってそれなりの努力も我慢も必要なのも僕はこの年齢まで気づかなかったし、それにこの社会で、自分の夢を持って、見つけれて、やりたい仕事できてるやつ、夢を仕事にできたやつ、夢を叶えたやつ、夢を仕事にできてお金貰えてるやつって本当に僅かの人間しかいない。野球選手、芸能人、歌手、科学者、、、生きがい、、、。

 夢って言うのはきっとその事の為ならば、その夢にたどり着く為にならどんな苦しみも辛さも努力も、辛く無いってくらいの想いが持てるのが夢だ。

 痛みは辛さは努力は嫌だって言ってるうちや、すぐに諦めてしまえるうちは、ただの憧れのうちだ。憧れだけなら誰にだって、この世に人間のいるだけの数、憧れがある。みんなが想い、抱いている。

 あの頃僕は、真面目で表情の無い人形みたいに見える生徒達を笑っていた。時には月給袋に這いつくばっている父親の事も笑っていた。たかが薄っぺらな不良でしかなかったのに、不良であることで自分はあいつらとは違うんだって感違いして優越感、感じようとしていた。夢なんて自分も無いくせに、周りのやつらを笑い、自分はいつか見つけてやるって思ってた。やってた事はただの盗みと薬と暴力だったくせに。

 僕は女の子との暮らしで自分の無力さを初めて解った。自分で仕事をするようになって少しずつ解り始めた。野球選手、芸能人、科学者、そういった人に無い魅力を持っている人、能力を持っている人、努力しきれた人は、そういった魅力も能力も無い人に感動を与えてそれでお金貰える。生きていける。