蝉日記。 弱い人にも届け声!十七。

でも、この時調査官に投げつけた僕の言葉は、反抗心もあったけれど、本当は'救ってほしい'って気持ちの裏返しだった様に現在は想える。

 そう、僕も救ってほしかったんだ。救ってほしい一人だったんだ。本音の声だったかもしれない。

 そして、この時本当は調査官の方が言ってる事正しくて、僕の言ってる事は甘ったれた叫びなのに、そんな言葉を言わなければ何か大切なものを失ってしまいそうな気がしてた。

 でも、聞かされた調査官にはただの不貞腐れで反抗としか取れないだろうな。

 僕はいつも反抗してしまう。この道を歩いたら損をするだろうな、解りつつ、思いながら自分からその損をする道を歩いて行ってしまう。いつも後になって辛い思いをする。

 僕の中等少年院送致は、審判の時ではなくてこの時に決まっていたみたいだ。

想えば僕も救ってほしいうちの一人だった。

 想えばそれは予定された雨だった。

 

 少年院で約一年を過ごした。後、何年、僕が生きられるのか解らないけど、人間なんて長く生きられても百年なのに、そのうちの十六年は終わってて、そして最後の三十年は男として、本当の意味で生きているとは思えないのに、だとしたら、後何十年かの限られた時間しか無いのにそのうちの大切な一年を自分の想って無い生き方を強制されたのは、生活させられたのはすごく痛い。

 辛かった。自由が無いのが辛かった。飼われた犬は餌貰える代わりに自由が無い、鎖でつながれる。野良犬は、餌が無いけど、自由はある。僕は自由を意識した。

 少年院と言っても大人の刑務所と変わらない。矯正教育って言ってるけれど刑務所と何も違わない。子供の刑務所が、その実、少年院だ。

 鉄格子の中、朝、起きてから、夜、寝てからさえも自由は無くて全てが規則と日課表で決まっている。一つだけ残された自由は、自分の中で夢を見ることだけで、生活の中二十四時間、規則、規則、規則の中で僕は、どんなにたくさんの規則で僕を縛っても僕の身体や生活は拘束し縛れても、残された心の中までは縛れないだろうって、強がった。頑張ってみた。

 少年院の中、自由になるのは空気を吸う事と夢をみる事だけで、だけど僕は、この毎日に潰されないように頑張ってみた。