蝉日記。  続き!。

 人間は弱い者だと知ると、蹴って蹴って蹴りまくる。集団は標的を探すらしいけど、それって本当だ。どこにでもある平均的なあの街の何でもない小学校の教室でだってそうだったもの。

 その女の子、何が理由でいじめられてたか解らない。たぶん、いじめてたやつらには、もう理由なんて無くて、あるのはこじつけた理屈だけだろうけど。

 いじめられる方だって悪い、いじめられるだけの理由がある、そんな事本気で言えるんだろうか。 

 それが自身の子供や、家族、弟とか、愛する人だった時でも同じ事言ってくれるのか。

 僕は言えない。そして信じない。嫌いだ、そんな言葉。そんな言葉言えるって、きっとそれまでを冷たさに触れられないで生きてこれたのかな、どんな理由があったっていじめて良い理屈になんてならないよ。

 同級生の女の手が、その女の子を殴っていた。蹴っていた。罵しる、酷い言葉で笑い者にしていた。冷たい視線を投げつけて無視したりもする。

 小学生がそんな事できる。何だか痛い。靴を隠されたり、給食が無かったり、ごみが入っていたり、仲間外れにされたりなんてのが日常の事になっていく。いつも泣いてる。その涙を見て子供達がさらにいじめる。楽しんでいたよ、あいつら。

 女の子が泣いているのを見て、「助けて、。」「許してください。」って懇願するのを見て、悲しいとか、可哀想だと思うより、叩くその手にもっと力がはいる。

              続く。