蝉日記。  続き三!。

だって、あのいじめてたやつらは、当時もだけど、今だって、一社会人、一般人を演じきれているから。自分のしてた事、過去はもう忘れて。

 楽だよね、いじめてたやつらは。簡単に忘れられる。でも、傷つけられた女の子はいつまでも忘れられない。

 いじめも助けもしなかった。不良少年の僕。いじめなかったから許されるって思い上がっている訳では無いけど、そんな不良少年の僕、いじめ続けられて、曲げられた、曲げられてしまった女の子はだめな人間、社会で落ちこぼれって言われて、いじめてたやつらは今は立派な一社会人と言う。今頃、忘れてるしね、そいつら、自分のしてた行為を。

 中学校で女の子は、先生や大きなものの前では色を変えられる、良い子になれるやつらや、不良少女のまねを中途半端にしてる様な女達に毎日、呼び出されては酷い事をされてた。

 当時、どうし様もなく不良化してた僕は、狭い学校の中で女の子がいじめられているのは目について知っていたのに、助けもしないし、いじめもしない。他人事だった。

 毎日呼び出されてみんなの教室中の見ている前で女の子は床に転がされて、殴られたり、髪の毛引っ張られたり、制服脱がされて下着だけにされたりしてた。    十二歳か十三歳くらいの女の子が。

 泣いてた。涙、流しても、誰も助けないし、いじめるその手を緩めない。やはりあの中学校での出来事が世の中の縮図だったのかな。それともあのいじめが人間関係の縮図だったのかな。人間の性善説性悪説、どっちなんだろう。

 でも人間は本当は優しいはずだった。できればそう信じたいけど。

 

 中学校三年生の時、初めて女の子の糸が切れた。張り続けてた糸が。

 小学校から中学校ヘかけての六年間いじめられ、酷い、非道い仕打ちを受けても登校拒否だけはしなかった女の子が、初めて学校から逃げた。

 '逃げた、なんて言葉は使ってはいけないのかもしれないけれど。

 桜の花の咲き始める頃、卒業式の準備に中学校内全てが浮かれ気分の時、その事はあったらしい。桜の花に狂わされる様に。

 僕はこの目で見てはいないけれど、さすがにその話しは、その噂は学校中を走ったので知った。全校生徒約七百名の、ほとんどの生徒の耳に届いた。